田端信太郎「過労死は自己責任」発言問題でZOZOTOWN前澤友作社長があらわにした“本音”と“無責任”
田端信太郎「過労死は自己責任」発言問題でZOZOTOWN前澤友作社長があらわにした“本音”と“無責任”
LITERA 2018.06.10
田端信太郎氏が「過労死は自己責任」とツイートし、大炎上している問題だが、田端氏の現在の所属先である「ZOZOTOWN」運営の株式会社スタートトゥデイにも批判が殺到する事態となっている。
ツイッターではZOZOの過労死問題についての見解をただす声や、#ZOZOTOWN不買 #zozotown退会祭りといった運動が広がっているうえ、過労死問題を積極的に取り上げている弁護士ドットコムなどもスタートトゥデイに質問状を送付して、追及する姿勢を見せていた。
一方、これに対して、「田端氏の主張とZOZOTOWNは何の関係もないのに、ZOZOを叩くのは筋違い」「個人のSNSでの意見をその個人の属している会社の姿勢と混同するのはおかしい」「妬みから所属先と個人を敢えて同一視して引きずり下ろそうとしている」と、ZOZOへの抗議・批判を疑問視する意見も多数見られ、田端氏自身もこうした意見を片っ端からツイッターで紹介しつつ、〈1株も持ってない、単なる1社員の私が、「人を雇用する側」ってどういう意味なのでしょうか・・・。〉などと反論している。
だが、そうだろうか。たしかにこれが一社員の政治的発言や思想の表明なら、会社は関係がないといえるだろう。
しかし、過労死は労働問題であり、田端氏は一社員ではなく、スタートトゥデイの「コミュニケーションデザイン室長」という管理職なのだ。そんな立場にある人間が、「会社側に殺意がないのだから自己責任」などという無茶苦茶な暴論をはき、36協定の運用実態を無視して「組合や従業員代表の責任もゼロではない」と、会社の責任を軽減するような発言を繰り返していたのだから、所属の会社の姿勢が問われるのは当然ではないか。
ZOZO擁護ツイートのなかには「(ZOZOを批判することは)田端氏が●●区の住民だからといって、その●●区を批判するようなものだ」といった旨の意見が散見され、田端氏もリツイートしていたが、話はまったく違う。今回のケースを区にたとえるなら、田端氏は住民でなく区役所の部長なのだ。区役所の部長がツイッターで、待機児童や生活保護は自己責任などと言えば、当然、その区の姿勢が問われることになる。
田端氏はZOZO前澤社長が「本音を隠さず語る」ことを評価してスカウト
しかも、田端氏はたまたま採用募集に応募して同社の社員になったわけではない。「ZOZOTOWN」の創設者で、株式会社スタートトゥデイ代表取締役の前澤友作氏が直々に指名して、スカウトした人物なのだ。
これについては、当の田端氏が6月5日のニュースサイト「NEWSポストセブン」インタビューで明かしている。今年2月末にLINEを退職し、3月1日に、株式会社スタートトゥデイに転職した経緯について、「前澤友作代表取締役社長から声をかけられたのがきっかけということですが」と話を振られ、こう答えているのだ。
「前澤(社長)が、プライベートブランド「ZOZO」の立ち上げなどにあたって、発信力のある人、本音を隠さず語るような人材を探していたときに、周囲の複数の人から、だったら田端がいいんじゃないかと言われたようです」
周知のように、田端氏はスタートトゥデイへの転職前から、貧困問題をめぐってグロテスクな自己責任論を口にして何度か炎上していた。前澤氏が田端氏の「本音を隠さない」ところを気に入ったのというのが事実なら、こういう貧困叩きや自己責任論という「本音」にも共感していた可能性がある。
実際、前澤氏は今回、田端氏の「過労死は自己責任」発言について、ツイッターで弁明をしていたが、それはなんとも歯切れが悪いものだった。
念のため付け加えておくと、前澤氏は田端氏やホリエモンなどと違って、むき出しの自己責任論や新自由主義的主張を叫ぶことはほとんどなく、むしろ社会貢献などを意識した姿勢を見せている経営者だ。スタートトゥデイも社員にやさしい会社をアピールしている。
そのため、今回の過労死問題では、当初、前澤氏が田端氏を厳しく説諭してくれるのではないかという期待もあった。
ところが、その対応はなんとも期待はずれのものだった。田端氏を諌めるどころか、炎上翌日の3日、前澤氏はこの問題についてこんなツイートをした。
〈会社の全社員、社長、本人、同僚、上司、部下、家族、友人、、、全ての人にとって痛ましく悲しいことです。同時に全ての人に責任があり、全ての人が忘れてはならず、全ての人に同じことを二度と起こしてはいけないという決意や行動が必要になると思います。会社は社会ですから〉
〈基本、人生すべて自分次第。けど、人間だから、時には挫けるし負けるし悩むし落ち込むし死にたくなるけど、そんな人を抱き上げて介抱して励まして側にそっといてあげられるのが、会社や友人や家族や社会じゃん。責任の所在を明確にすることより、先にやらなきゃいけないことあるよね〉
一見「人にやさしい経営者」というポーズをとっているが、きちんと読むと、前澤氏も過労死や過重労働の問題をまったく理解していないことがよくわかる。 典型なのが〈会社の全社員、社長、本人、同僚、上司、部下、家族、友人〉のすべての人に責任があると述べているくだりだ。このなかで責任があるのは社長、上司だけのはずなのに、なぜ、過労死の責任に本人や同僚、部下に含まれるのか。さらに前澤氏は〈責任の所在を明確にすることより、先にやらなきゃいけないことあるよね〉とも述べているが、これは使用者にある〈責任の所在〉をごまかしているとしか思えない。
ようするに、言葉はきれいだが、内容は田端氏の〈過労死には本人の責任もある。〉というツイートとほとんど大差がないのだ。
「責任は100%僕」のツイートを「もうこの話嫌だ」と削除した前澤社長
しかも、前澤氏が無責任だったのはその後の対応だ。前澤氏は4日なって、これまでの経営者の責任をごまかすようなツイートから一転して、こんなツイートをした。
〈会社で従業員が過労死したら、責任は100%僕にあります。一生かけて償い続け、二度と同じことを起こさぬ努力をします。亡くなった方の周りの方も、自分にできることはなかったのかと、悔やみ責任を感じるでしょう。世論や裁判官が責任の所在をどう判断するかは分かりません。自分では決めれないことです。〉
「責任は100%僕にあります」と言ったのは、経営者としては誠実な姿勢だと思ったのだが、なぜかその日のうちににこのツイートを削除し、代わりにこんなツイートをアップしたのだ。
〈「もしも」の話だとしても、従業員が過労死したら、なんていう想像は今までしたこともなく、これからもしたくなく、具合も悪くなってきたので、ツイート削除しました。責任を転嫁するつもりはないですし、最終的な責任の所在は世論や裁判官が決めることで、自分では決めれません。もうこの話嫌だ。〉
そして、前澤氏はその後、このツイートも削除し、以後、田端炎上問題について発言しなくなった。
ようするに、責任逃れを批判されていったんは「責任は100%僕にあります」と啖呵を切ったものの、弁護士か社内の労務担当にでも言われたのだろうか、あわてて取り消して、口をつぐんでしまったのだ。しかし、そのいいわけが、「具合も悪くなってきた」とか「もうこの話嫌だ」って、あんたは子どもか、と突っ込みたくなる無責任ぶりではないか。
改めて断っておくが、本サイトは、社会貢献や人へのやさしさを前面に出す前澤氏やZOZOのブランディングを否定するつもりはない。それが大義名分にすぎなくても、企業活動は経営者が掲げる大義名分に少なからず影響を受けるものだからだ。少なくとも新自主主義むき出しのグロテスクな経営方針に開き直る企業や経営者よりも、前澤氏やZOZOのほうがはるかにマシだろう。
しかし、だからこそ、前澤氏は今回、田端氏に対してもっと毅然とした態度を示すべきではなかったのか。いったい、田端氏になぜそこまで遠慮しているのかよくわからないが、それができなかったがために、ブランディングそのものが大きく毀損されてしまった。
前掲のインタビューで、田端氏はスタートトゥデイの「コミュニケーションデザイン室 室長」という仕事について、「社外やお客様から、会社としてのスタートトゥデイや「ZOZOTOWN」、あるいはブランドとしてのZOZOや、社長はこう見られていますよ、こんなふうに思われていますよ、ということを前澤には言いますね」と得意げに語っていた。しかし、今回、その田端氏の存在によって、前澤氏の本音やZOZOTOWNの本質があらわになってしまったのは皮肉としか言いようがない。
(編集部)
===LITERA記事(ここまで)===
株主として強く希望します。
田端信太郎を解雇しなさい。
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