オウム“村井事件”の実行犯が激白 「僕が村井を刺した本当の理由」

オウム“村井事件”の実行犯が激白 「僕が村井を刺した本当の理由」

AERAdot 森下香枝2018.7.6 18:05週刊朝日#オウム真理教


 6日、オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の教団元幹部の死刑が執行された。一連のオウム真理教事件のひとつで、幹部だった村井秀夫が刺殺された「村井事件」は、多くの謎が残った。その場で逮捕された徐裕行・元服役囚(48)は12年の懲役刑を終え、2007年に満期出所した。最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』では、彼にインタビューを敢行。「残された謎の数々」に迫ったインタビューを掲載する。

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──共犯として暴力団幹部が後に逮捕され、裁判では無罪になった。だが、謎がたくさん残されている。

「この事件はもう判決が出て終わっている。今もお話しできないこともある。だが、なぜ、僕が事件を起こしたか。それは、最終的には『個人の憤り』です。あの当時、社会全体がオウムに対し、憤りがあったし、僕も『とんでもない連中だ』と強い義憤を感じていた。いろんな要因はあったにせよ、殺害しようと決断したのは僕です。一番の動機をあえていえば、地下鉄サリン事件の映像を見た衝撃で義憤にかられたことです」

──サリン製造の統括責任者だった村井幹部の殺害は「麻原による口封じ」という説が根強く残っている。

「僕は最初から村井を狙っていたわけじゃない。上祐(史浩)、弁護士のA・Yの3人なら誰でもよかった、と当時から一貫して話していた。口封じ説が今も疑われているのは知っているが、村井を人前で殺害した僕がなぜ、わざわざ3人を狙っていたと言う必要があるのか。それで背後にある陰謀を隠すことができますか。できないでしょう。3人を狙おうが、最初から村井を狙おうが、僕にとっては意味がない」

──しかし、結果的に村井幹部の死で、化学兵器、武器などの密輸ルートなどが解明されずに終わった。

「オウムはこれまで教団にとって都合が悪くなった人間を、自分たちで『ポア』してきた。なぜ、村井の時だけ外部の僕にわざわざ頼むのか。教団内部で殺害し、どこか山奥に遺体を隠し、行方不明と言えば、当面は発覚しなかったでしょう。公衆の面前で殺したら疑われるだけ。口封じ説は理屈に合わない」


──当時、あなたに借金があり、それを帳消しにするために、暴力団にヒットマンとして雇われたという見方もありました。

「僕は事件の2年前、経営していたイベント会社を倒産させ、借金は1千万円以上ありました。倒産後、半年ぐらいは、取引先、銀行などから金を返せと催促の電話がありましたが、事件当時はほとんどなく、追われるような状況じゃなかった。警察は僕の収支を徹底的に洗いましたが、代償に借金を払ってもらった形跡も、大金をもらった形跡もなかったはずです」

──当時、オウムとの接点は何もなかったのか。

「取り調べの時、オウム幹部の写真をたくさん見せられた。テレビで見た人は知っていたが、それ以外は全然わからなかった。『誰をどう知っている』ということは証明できるが、『接点がないことを証明しろ』と言われるのが、一番難しい。当時は僕が韓国籍なので、オウムと闇で接点があったとも言われましたが、『ありません』と言うしかなかった。A・Y、上祐、村井のいずれも当日、初めて会いました」

──犯行当日の様子を聞かせてほしい。

「本部ビルに午前11時過ぎに着いたが、教団幹部たちの動向は知らなかったので、最初はウロウロしていた。報道陣は十数人ぐらいでした。するとビルの前に車が横付けされ、誰かが『A・Yだ』と叫んだ。え、と思って見たら、僕は入り口と反対方向にいた。追いかけようとしたときには、彼はもう足早にビルの中に入ってしまった。凶器はカバンの中に入れていたが、出すこともできなかった。出入り口はわかったが、怪しまれるので、ずっと立っているわけにはいかず、距離を保ちつつ、付近の様子を見ていた。次に上祐の車が来たが、すぐ報道陣に二重、三重に囲まれていた。A・Yの時よりは近寄れたが、群がる報道陣を引き離すわけにもいかず、物理的に(殺害は)不可能だった」

──村井幹部の時はなぜ、実行できたのか。

「夜になると、教団側が生放送でインタビューを受けるのか、テレビ局の中継車が続々と東京総本部前の路上に横付けされた。報道陣ややじ馬ら数百人で現場はごった返していた。そのため、村井が乗った車は入り口にたどりつけず、途中で車を降りて歩き出したようだった。テレビのスポットライトが四方八方から村井の姿を照らし出し、その光がこちらへどんどん近づいてきたので、位置がわかり、近寄れた。村井の顔が見えるか、見えないか、という状況で視線は合わなかったが、洋服を見て、すぐに村井本人だとわかった」


 ──衝撃的な殺害の瞬間は多くのテレビカメラがとらえていた。中でもTBSのカメラは犯行前から執拗にあなたを撮影していて、事前に計画を知っていたのでは、という疑惑を呼んだ。

「その疑惑はありません。途中からカメラが僕を撮っているのはわかっていた。僕は報道関係者ではないから、漂わせている空気も違う。それなのに昼間から現場に10時間近くいたから、相当、怪しく見えたのでしょう。ディレクターらしい人がこちらをチラチラ見ながら、カメラマンに撮るように指示していた。カメラが僕のことをずっとマークしているなと思っていましたが、そんなに気にはしませんでした」

──当時、オウム幹部には警官が張り付いていたはずだが。

「刺した後に、私服警官が人をかき分けてやってきて、『誰がやったんだ』と叫んだので、凶器を捨てて『僕です』と名乗り出ました。すると、『覆面パトに乗れ』と言われた。そのまま、赤坂署に連行された」

──殺害に対し、迷いはなかったのか。

「ありましたよ。僕には両親など家族がいましたから、事件によって多大な迷惑をかけることになる。僕から家族の絆を一方的に断ち切るような形になってしまった」

──村井幹部に対し、いまはどう思うか。

「収監された旭川の刑務所の中で、オウムや村井について、いろんなことを考えました。その思いをここで今、整理してお話しすることは難しいですね。刑務所の中にいて、僕は家族の絆というものが、本当にありがたいものだな、と再確認しました。事件を起こし、迷惑をかけた僕を家族は見捨てず、ずっと支えてくれた。オウムはあのような未曽有(みぞう)のテロを起こし、被害者らの命を突然、何の理由もなく、奪った。彼らはそんな家族の大事な絆を理不尽に断ち切ってしまったのです。それが許せなかった、という気持ちは今でも変わりません」

──出所から5年。現在はどう生活しているのか。

「昨年の3・11の大震災の時は居ても立ってもおられず、仲間と一緒に水と援助物資を持って福島へ行きました。今はリサイクル関係の仕事をしながら、北朝鮮拉致被害者救出の署名集めをしています。僕は在日社会が拉致事件でもっと動くべき、というのが持論です」

(編集部・森下香枝)

※週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」(2012年7月15日号)から抜粋

 

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